小さな旅と、本堂

モヤモヤした数日間に休止符を打つべく旅を思いつき、何の計画もなしに新宿の夜行バスターミナルに
駈けて行ったのが昨夜。日曜日に予定が入っていたので、あまり遠方にも行けない。(本当は鹿児島に行きたかったです)でもぐっすり眠っているうちに何処か知らない土地に運ばれて、ただ歩いて帰るというささやかな旅がしたい。幸運にもキャンセルが・・・出るはずもなく、結局しょんぼり肩を落としながら家路に着いたのでした。


そして朝、公民館の小さな練習部屋で急に鎌倉へ行こう!と決めて、あと1時間も残っている利用時間をそっちのけにして、自転車で駅へ向いました。
駅に隣接しているパン屋でいくつかのパンを買い込み、揺られること1時間30分。
藤沢へ着いたら、大好きな江ノ島線に乗り込みます。この電車の床と椅子の肘掛は木製で出来ていて、ちんちん電車のごとく街中を横断したり、なんといっても海を眺めながら乗車する事が出来るのです。昼間の車内は電気が点いておらず、外の明るさが反射して中に居る僕たち乗客は一つの静かな灰色の影になれます。途中下車、大仏見学、未踏の小道を漂っている内に、それが海へと続いていたのでした。海では犬が沢山遊びに来ていて、そのうちの一匹と友人になりました。砂浜や波を裸足で楽しみ、帰るつもりが、あれよと江ノ島へ行く事に。



江の島大師の本堂へ。
考えなしに入ってみただけなのに、ここに来たかったのだと直感しました。
導かれるという感覚は、ぼくはあまり信じないけれど、まさにこの表現がしっくりときた。
妙な安心感に満たされながら本堂を回ります。
地下へ降りる階段の壁には目を見張るほどの作品。繁々と見つめます。
密集してひとつの意味となっているこの塊の個々の線がとても細い事に思い当たりました。
そして次の瞬間、背中がぞわっとして、なぜこんなに繊細に見えたのかがわかったのです。
それらは絵ではなく、刺繍だったのです。


いくつもの中国刺繍仏像画が海を眺めていました。
控えめに開いている窓を大胆に開けると、天井に整列して吊るされた提灯の、白いお札が急にその口を開いてペラペラと喋りだすので、少し恐ろしくなって慌てて窓を閉めたのでした。