Hermann PreyとErykah Baduは、同じように素晴らしい。

声楽を学び始めて、少しステップアップ。
今までその効果がいいほうにしか現れなかったのは幸運というべきか。
じつを言うと、
声楽の歌唱法がとても心地良くなってしまっている。
これは不味いと思いつつもシューマンの練習の方に熱が入っている。
ガタリの曲は、とても好きなのに音域の部分で窮屈を感じる。
声が透明になり過ぎている、と言われ少し不安になった。
でも、意図的に土臭い声を出すのも気まずい。
気まずい?・・・うーむ、でも気まずいのだ。


もーよく分らなくなった時にはしていることがある。
道に迷ったときは素晴らしい歌手達の歌声で綴られた地図を開く!

というわけで取り急ぎyoutubeで聴きまくる。
いつもいつもいつもいつも思うんだけど、声質こそ動かぬ証拠みたいなもの。
そして、でも、再現力(想像力と表現)だなぁと再確認する。
素晴らしいです、聴いているだけなのにただただ嬉しくなります。
お花畑にいるようです。ありがとう。
努力でどうにか叶えられるものだってあるのだということにも再確認(かなり傲慢)。



やっぱり歌手は、歌詞や曲を書いてる暇なんてないんです。
雑用に囚われずに一心に曲と向き合うこと、だとおもいます。
それぞれに与えられた特別の任務に丁寧に取り組むこと、
しかもなるべく短期間で仕上げること。

「シンガーソングライターこそ歌手だ!」と豪語している人が世の中には多い。
あるいはそういう世の中だって存在するのだろう。
でもたぶん、ぼくはそちら側には住んでいないと思う。
なんか村上春樹みたいになってきた。笑

そういえば春樹は凄い。
或る朝目覚めたら海がオレンジのゼリーになっていたとか、
洗濯機の後ろに見つけた扉を開けると時間軸の違う世界が存在していた、
というような大げさな描写はきわめて少ないのに
例えば「青山を歩いていたら真っ赤なコートの女に出会った」
みたいな何の変哲もない状況説明であってもアリスを連想させてしまう。
少なくともぼくにはそう感じるんだけど
あのマジックって何?

まるで風船になったような、恋に恋しているような、
上の空気分にさせてくれる作家はいいです。
人生において重要な一部を手に入れた気分になります。